1990年代後半、前例のないボクサーがリングに立った。両胸の入れ墨を皮膚移植で消し、上腕部の彫り物にはファンデーションを塗り、グラブを握ったのが元日本ライト級1位・大嶋宏成。48歳になった現在は、東京・上井草で飲食店「いきや」を経営。現役時代は後楽園ホールの入場者数のレコード記録を樹立したほど注目を集めた「元暴力団構成員の入れ墨ボクサー」は、どうして誕生したのか。ボクシングをしたらこそ手にした財産を語った。(取材・構成=近藤英一、敬称略)
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昔の面影はない。現役を引退して18年。大嶋はライト級(61・2キロキロ以下)でリングに上がっていた当時より体重は30キロ以上増えて現在93キロ。かつては対戦相手を射抜くような虎の目を持つボクサーだったが、今では優しい目をした中年男性だ。
「現役の時は毎日試合のことばかり考えていましたから厳しい表情になったんでしょうね。みんなから『昔は怖い目付きだった』と言われます。どう見えてました?」
確かに近寄りがたい空気感はあった。
1997年7月21日、東京・後楽園ホール。大嶋はようやくデビューの日を迎えることができた。
「自分の中で一番の思い出はデビュー戦。スポットライトがまぶしくて周りが止まってみえてました」
リングに上がれる状況を自らの手で切り開いたからこそ感慨もひとしおだ。「元暴力団構成員」ということを隠さず正直に明かした。そして、何より両胸の皮膚移植の痕が痛々しかった。
プロライセンスを手にするまで長い年月を要した。遠回りをさせられたのは、やはり入れ墨があったからだ。「入れ墨をいれたことには後悔していない」と言う大嶋だが、なぜアウトローの世界へと足を踏み入れていったのだろうか。
「家庭環境です。3歳の時に両親が離婚。母親は家を出ましたが、父親もあまり家にいなかった。祖父母に育てられたんです。小学生の頃は自分の家がみんなのたまり場になって、興味本位からたばことか吸うんです。たばこは小学5年から吸ってました」
受験勉強などしたことがないのだから当然、高校には行けなかった。友人らは高校生になり新しい友人ができたが、やることがない大嶋は駅前のロータリーでぶらぶらするだけの孤独で寂しい毎日が続いた。そんな時だった。
「お前、大嶋だろ。乗れよ」
車を運転する男性から声をかけられ、不信感も抱かず同乗すると着いた先は組の事務所だった。
「花札とかやってすごく楽しかった。『みんな高校で新しい友達ができていいなぁ』と思っていて、自分にも新しい友達ができたという気分になってすごく楽しくなった。それからは毎日、組の事務所に通うようになりました」
入れ墨を入れたのもこの頃だった。金運、女運がよくなるといわれる金魚を両胸に彫った。
そこからは喧嘩三昧。16歳の時、1年2か月間を小田原の少年院で過ごした。将来への決断を下したのもこの時だった。面会に来た元ボクサーの父から祖父母が毎日泣いていることを聞くと、自然と涙がこぼれた。初めて人生を振り返り、時間をかけやり直すことを決心した。
「腕力だけには自信がある。ここを出たらボクシングで人生をやり直すしかない」
祖父母への思いが小学校5年から吸っていたたばこも辞めさせた。
日本ボクシングコミッション(JBC)のルールでは、入れ墨があればプロライセンスが交付されないことも知っていた。少年院を出た大嶋は、茨城から1か月に1回、東京・市ヶ谷にある病院で上腕に彫った入れ墨の色を落とすレーザー治療を受けた。当時、日本に2台しかないという貴重なものだったが、薄くなるだけで何回もやらなければならず、費用は1回数十万円かかり、1年半続けた。
胸の入れ墨は残ったまま20歳になると入門するジムを探すために上京した。専門誌を見て大手のジムを回ったが、入れ墨のことを打ち明けると、どこもいい顔をしなかった。そんな中、1件だけ寛容なジムと出会えた。西荻窪の輪島スポーツジム(現・輪島功一スポーツジム)に行くと、対応してくれたのは元WBA、WBC世界スーパーウエルター級王者で会長の輪島功一だった。入れ墨のことを打ち明けると、輪島からは威勢のいい言葉が返ってきた。
「そんなの関係ないよ。
当たり前だ。(ボクシングは)できるよ」
うれしくなった大嶋は翌日、月謝を持ってジムに行くと、今度はトレーナーが待っていた。控え室に呼ばれ入れ墨を見せた。
「あちゃー。これはだめかもしれないぞ」
トレーナーの言葉に大嶋は反論した。
「会長はできると言ってましたよ」
トレーナーは続けて「会長は詳しいこと分かってないから」
それでも大嶋は練習に励んだ。数か月後、トレーナーとJBCに足を運び入れ墨の件を相談した。当時、JBC国際部長だった安河内剛(現・本部事務局長)は「(ボクシングは)無理だとすぐに思いました。本物の入れ墨で『任侠という感じの胸の部分は落としてほしい』とは言いましたが、これは本人の覚悟を試したんです」
こう言えばあきらめるだろうと思ったからだ。
大嶋は本気だった。調べに調べて都内の病院を探しあて「皮膚移植なら1日でできる」と医師に言われると、父から200万円を借りて手術を決断。でん部と太ももの皮膚を両胸に移植した。全身麻酔から目が覚めると、おむつをしたでん部はケロイドのように赤くなり血が噴き出し、動くと激痛が走った。数週間はベッドに寝たままで過ごし、半年間は激しい運動を禁止された。
プロテストのスパーリングでは見事なパンチでパートナーからダウンを奪った。リングを降りた大嶋は安河内からかけられた言葉を今でも覚えている。
「君、強いね」
安河内は強さ以上に、大嶋の覚悟を持った行動に心を動かされた。
「まさか自分の体にメスを入れてまでボクシングをやるとは思わなかった。(入れ墨を)消してきたときには本当にびっくりしました」
少年院での決断から5年。大嶋はC級(4回戦)ライセンスを手にした。(続く)
◆大嶋宏成(おおしま・ひろなり)1975年1月7日、茨城県結城市生まれ。97年7月にプロデビュー。翌年12月に全日本新人王を獲得。日本、東洋太平洋と3度タイトルに挑戦したがいずれも王座には届かず。2005年8月の試合で網膜剥離となり引退。戦績は21勝(13KO)5敗1分け。身長180センチの右ボクサーファイター。得意パンチは右ストレート。弟・記胤(のりつぐ)も元プロボクサー。
◆いきや=東京・杉並区の西武新宿線上井草駅から1分の居酒屋。店内はカウンター10席のみのアットホームな雰囲気。営業時間は午後5時から翌3時。定休日は水曜日。2012年7月21日オープン。7月21日はオーナー大嶋宏成がプロデビュー(1997年)した記念日。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebfdeea3c032c011708aaaee76acb0c0a8d7ecc8
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https://t.co/gRUQ3tH1uJ
— 清水@ 7/11 長谷川優太選手がんばれ!🔥 (@kenkichi_gm) July 9, 2023
せっかく記事は良い記事なのに、誤字がもったいないな>61・2キロキロ以下
8.4の記憶。
— Tokky (@Tokky5571) August 3, 2022
大嶋宏成ラストファイトの日!
✔︎ 2005.8.4 後楽園ホール
✔︎ 日本Sライト級タイトルマッチ
✔︎ 木村登勇vs大嶋宏成
木村登勇が4回TKO勝ち。ボクサー大嶋宏成の現役ラストファイト。
この日から17年経った今、現在は美味い居酒屋「いきや」経営とYouTubeも積極アップされてます🥊 pic.twitter.com/xTrkAOqAru
畑山隆則伝説の裏側!兄弟大嶋宏成と語る!伝説の坂本博之との死闘!#shorts #畑山隆則 #大嶋宏成 #赤羽もも #ボクシング #格闘技 #坂本博之 #酒 #上井草 #飯テロ #人生相談 pic.twitter.com/l4DWQETBa5
— 大嶋宏成のごっつあんすつぶやき🥊(スタッフがつぶやいてます) (@ooshimahironari) June 25, 2023
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